鎌倉・年金の仲間

全日本年金者組合 鎌倉支部

鎌倉日和下駄

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景観も公共の財産

北鎌倉駅裏「洞門」の今(2) 2016年4月4日


2016/4/4(1) 北鎌倉洞門      
 4月4日11時30分頃、北鎌倉駅下りホームから、緑の洞門を見ると、鎌倉市による「緑の洞門」破壊作業がちょうど始まろうとしていた。北側入口ではまさにフェンスの作業中で、市の職員とおぼしき人に指示された「斉藤建設」というロゴの入った作業服を着た作業員が盛んに組みたてしていた(写真1)。南側入口では、「守る会」とおぼしき人たちが、盛んに工事のいったん中止を訴えていた。

2016/4/4(2) 北鎌倉洞門      
 聞けば、鎌倉市は4月4日を期して、トンネル撤去工事に着手、まず作業用のフェンスを設置するとのことであった。「守る会」の皆さんは、トンネルと周辺の景観を損なうことなく、安全性や利便性も確保できる方法もあるのだから、急いで結論を出さず、話し合いを継続してほしい、そのために当面の工事を延期してほしいと盛んに訴えていた(写真2)。しかし市の職員は、今日からの工事着手はすでに決まったことだからとの一点張りで、工事を邪魔しないでほしいという。



2016/4/4(3) 北鎌倉洞門      
 「守る会」の皆さんに、がんばれと声をかけ、その場を離れた。気になっていたので、用事を済ませて5時過ぎに北鎌倉に戻り、再び現場に行ってみた。すでに市職員と守る会の双方も姿はなく、マスコミの取材だという言う一人がカメラを回していた(写真3)。しばらくして、もう一人若い人が来た。かれは「守る会」の立てた看板を指さし、撤去してほしいという。聞いてみると、すぐ近くに住んでいて、一日も早くこのトンネルを壊してほしいという。「たくさんの住民がそう思っているのに、いかにもこの辺りの住民全部がトンネルを守れ、と言っているように誤解されているのが悔しい」のだ、と。
 たしかに保存してほしいという住民だけではない。トンネル北側の住民や墓地関係者は、車が入るようになった方が便利だろう。その声は無視できない。しかし、文化財や景観もまた市民の共通の財産だ。しかもいったん破壊されたら修復は不可能な財産だ。より高い公共性をもつ文化財や景観の保全と、地域住民の安全や利便性が対立した場合、そのどちらかだけが犠牲になるのではなく、双方に納得のいく「妥協点」を探らざるを得ないのではないだろうか。鎌倉市は、その丁寧な手続きを放棄してしまっている。(2016/4/4)

安全か景観か

北鎌倉駅裏「洞門」の今(1) 2016年2月22日



2015/4/24 北鎌倉洞門      
 北鎌倉駅裏の小さなトンネル、通称「緑の洞門」の問題がいよいよ最終局面のようだ。鎌倉市は昨年4月28日、この洞門は崩落の危険があるので、近隣住民と通学に利用する学生の安全のために開削するとして通行を禁止した。市議会では予算が可決され、3月中にも工事着手と言われている。

 それに対して、北鎌倉の貴重な景観を守るべきである運動が起こり、今も懸命にトンネルを守ろうとしている。2月13日に守る会の主催した学習会に参加し、中世史専攻の高橋愼一朗氏、考古学の馬淵和雄氏などの話を聞いた。両氏の話は、この洞門は円覚寺の結界を示し、中世鎌倉の境界とされていたということでは一致していた。


 特に馬渕さんの、頼朝開府以前の道は朝比奈から十二所を通り、八幡宮のできる前の源平池の辺りを横切り、源義朝の館のあった現寿福寺前から海蔵寺の裏山を越え(今も頼朝が開こうとした切通の跡がはっきり残っている)、瓜が谷を下り、横須賀線が通るまではあの洞門の岩塊が延びていた今の十王堂橋に出たのではないか、という話が興味深かった。
 円覚寺の古図には、十王堂橋のところに「篝屋(かがりや)跡」とあり、京都と同じような市中警護のための篝屋があったらしい。
 今のトンネルは、いつ誰が掘ったか判らず、近代以降のものであるので、それ自体に価値はないが、鎌倉にとって歴史的に重要な位置にあることは確かである。また鶴見大学の伊藤正義さんは、現在の技術ではトンネルの崩落を防ぐことは十分可能で、逗子市が行った名越切通の整備ですでに証明済みだといっていた。


 しかし、鎌倉市当局は聞く耳を持たないという。レイウェル鎌倉の閉鎖の時もそうだったが、彼らの行政マニュアルには「安全」と「財源」という言葉しかないらしい。「景観の保護」、「文化遺産の伝承」、「市民の豊かな文化的生活」などの概念は初めから頭になさそうだ。今までも多くのやぐらや地下遺構が道路や宅地造成で失われてきた。有名な釈迦堂トンネルは通行不可のまま放置されている。
 何を今更、と言われるかもしれないが、失われた地形は二度と戻らない。2月17日には学習センター地下で開かれている「写真家の記録した鎌倉」を見たが、昭和40年代以降の開発のすさまじさを伝える、息をのむばかりの写真がならんでいた。この小さなトンネルが、最後に残った鎌倉らしい景観となってしまうかもしれない。

2015/5/2 北鎌倉洞門      


 日和下駄で、こうもり傘を手に、東京を歩きまわった永井荷風は、大正の初め、つまり百年前の東京の変貌をこんな風に嘆いている。
「・・・電線を引くに不便なりとて遠慮会釈もなく路傍の木を伐り、又は昔からなる名所の眺望や由緒ある老樹にも構わず無闇矢鱈に赤煉瓦の高い家を建てる現代の状態は、実に根底より自国の特色と伝来の文明とを破却した暴挙と云わねばならぬ。この暴挙あるが為に始めて日本は二十世紀の強国となったというならば、外観上の強国たらんが為に日本は其の尊き内容を全く犠牲にしてしまったものである。」<講談社文芸文庫 p.43>

 鎌倉が「文化都市」と云えるのかどうか、またこれからもそう言えるのか、この小さなトンネルが問いかけている。(2016/2/22)


しっかりと整備されている名越切通の逗子側 2015/1/31     

鎌倉日和下駄

鎌倉の街角の話題とできごとなど、身近な話題をお届けします。



2013年12月24日 若宮大路    
 あこがれの(?)年金生活ではありましたが、いざ始まってみると、依然として世事に追われ、おまけに年金者組合のあれこれの活動におつきあいを始めたためか、いっこうにのんびり旅行を楽しむなどという境地ではありません。思い知らされたのが、年金だけでは生活できないということ。その年金がこれから減らされていくとあっては心細いかぎりです。
 せめて鎌倉に住んでいるという利点を生かして、神社仏閣を訪ね、草花や風景を愛でたいと思い立ち、歩きまわっています。歩きながら見たこと、聞いたことを、この場を借りてブログ風につづっていきたいと思います。お手本は、永井荷風の『日和下駄』(一名東京散策記)。


 もっとも現今の鎌倉は、のんびりと散策を楽しむには適していない。世界遺産の選に漏れたにもかかわらず、いつも鎌倉駅周辺は観光客が溢れ、落ち着きがない。それよりもなによりも、歩いていると今の鎌倉市政の混乱ぶりが伝わってくる。年金削減だ、戦争法だと国政もとんでもない方に向かっている。どうやら荷風先生のようなしゃれた散歩はできそうにもない。
 さて、このページをご覧の鎌倉支部の皆さん、そしてたまたまお訪ねいただいたどなたでも、鎌倉でこんなところがあったよとか、こんな話を聞いたよ、などなど情報があったらお知らせ下さい。(2016.2.22 公平記)


上町屋 泉光院に近い街角