最新ニュースのページ      更新日 2012年9月16日


マウスを重ねると怒りだします

 私たち年金者組合は、年金引き下げや、支給年齢引き上げなどの年金制度改悪に反対です。そして社会保障費負担を口実にした消費税アップにも反対です。
 老人や女性に多い無年金や低年金を無くすため、最低保障年金を実現しましょう。

top news 8.6 「北鎌倉に戦跡を訪ねて」

 8月6日(月) 年金者組合鎌倉支部では、昨年、『鎌倉と戦争 ―生きてきたを伝える』を刊行しました。その活動の一環として、この日は「北鎌倉に戦跡を訪ねて」をテーマにフィールドワークを実施しました。炎天下にもかかわらず35名が参加し、ひっそりと残されていた戦争末期の陣地構築跡を訪ね、この広島原爆の日に、平和の誓いを新たにしました。


集まった皆さん 明月院入口

講師の平田さん

 『鎌倉と戦争・生きてきたを伝える』に寄せられた証言から、この鎌倉の地も戦争と無関係ではあり得なかったこと、また鎌倉にも戦争末期の「本土決戦」にそなえ陣地構築が行われたことを学びました。NPO活動の助成を受けたことを機会に、鎌倉に残る戦争の爪痕を、実際に訪ねてみようというのが今回の企画でした。
 講師には平田恵美さん(鎌倉市中央図書館近代史資料室)と、神戸治男さん(元岩瀬中学社会科教諭)のお二人にお願いしました。

フィールドワークの行程


明月院入口

・明月院入口から浄智寺へ
  9時、円覚寺正面に集合。目の前で境内を横切っている、海軍のための軍用路線であった横須賀線を右手に、明月院入口へ。道路から数メートル上の藪の中にぽっかりと横穴が見える。またその右手には、現在宅地造成のため古い家屋が取り壊されたため、横穴陣地への入口が二ヶ所、姿を現していた。ここは宅地造成が終われば、見ることは出来なくなると思われる。



浄智寺山門脇の駐車場

 続いて横須賀線をはさんで浄智寺境内へ。山門を入って右手にある駐車場に面した山の斜面に横穴がある。これらの横穴陣地は横須賀線沿いに進攻する敵に備えたものか。
 かつては入口まで階段があり整備されていたが、現在では草が生い茂り、入口も塞がれている。穴は途中までしかなく、終戦で工事が中断されたらしい。

・洞門山
 次に横須賀線沿いに大船方面に向かう。途中の雲頂庵入口から洞門山付近にかけては、横穴陣地や銃眼の跡がたくさん残っていたと言うが、現在ではほとんどがコンクリートで閉ざされている。写真左、線路際の崖の上に、コンクリートブロックの一部に銃眼の跡を見ることができる。写真右は旧好々亭入口のトンネル。中間の左右に現在は塞がれているが、横穴の入口がある。


左 洞門山の銃眼           右 旧好々亭入り口

・成福寺と亀の甲山
 小袋谷成福寺・亀の甲山では地元の元町内会長生知義正さんにご案内を頂いた。写真左は成福寺境内の東郷平八郎揮毫の忠魂碑。もとは小坂小学校にあったものを、戦後にこの地に移した。その脇に戦没者慰霊碑があり、西南戦争から太平洋戦争の戦死者まで二百人以上の人名が刻まれている。
 お寺の裏山である亀の甲山は特殊地下壕があったところ。生知さんも子供のころは遊び場にしていたと言うが、昭和30年代からの宅地造成のため、塞がれている。写真右、生知さん(中央)が説明しているあたりの地下に、最近の再造成で、ポッカリと大きな壕が現れたが、コンクリートで埋め戻され、今はまったく見ることができない。


左 成福寺の忠魂碑             右 特殊地下壕のあった亀の甲山


大長寺隣の民家の裏庭

・大長寺とその付近
 その後、約1時間歩いて岩瀬の大長寺へ。鎌倉街道沿いで現在の鎌倉の北端にあたる地であるが、その左手の民家の裏と大長寺境内には今も横穴がいくつか口を開けている。その反対側の鎌倉街道に面した崖にもぽっかりと大きな口が開いており、現在では防火用水となっていて、奥の方は暗くて見通すことはできない。これらも相模湾に上陸した敵が北上してくるのに備えた陣地として構築されたという。


鎌倉街道に面して横穴が開いており、大長寺の横穴と繋がっている

まとめの集会


平田さん

 平田さんは、今までの湘南鎌倉生涯現役の会(CPCの会)が調査した鎌倉の戦跡の概況について説明され、空襲を受けなかったとされる鎌倉でも、相模湾からのアメリカ軍上陸を想定して、各地に陣地が構築されたとのお話しでした。しかし、今回同行されて、遺跡がかなり変貌し、それとは分からない状態になりつつあることに危機感を持ったとのことです。私有地にある場合は難しいとしても、例えば中央公園の夫婦池にある横穴陣地などは、戦争を風化させないためにもきちんと保存し、誰でも見れるようにしておく必要があるのではないか、と指摘されました。


神戸さん

 また、長く岩瀬中の社会科の先生だった神戸さんからは、鎌倉にもこんなに戦跡があるんだよ、と授業で取り上げたときの子どもたちの驚きが紹介されました。今日見た横穴陣地跡だけではなく、鎌倉市内は深沢の海軍工廠(魚雷などを造っていた)、冨士飛行機(戦闘機、練習機の製造)など、軍事工場があり、爆撃予定地に入っていたのでした。中学生にも、アジアの国々での日本の戦争、広島や沖縄を学習することとともに、身近なところでの戦争を考えさせていきたい、とのお話しでした。


岩瀬公会堂で話を聞く参加した皆さん

 今回、人家の裏山や、道路の藪の陰でひっそりと人に知られずに残されていた、いくつもの陣地跡を見て改めて感じたことは、戦争を風化させてはいけないと言うことでした。現在の私たちにとっては「戦争の爪痕」にすぎなくとも、その時、炎天下で壕掘りに動員された若い兵隊たち、食べ物が無く疲れ切った兵隊におにぎりを差し入れた近所の人たちの思いが、ひんやりとした岩壁の爪痕や、洞窟の奥から伝わってきました。そして、空襲におびえ不安な夜を送った母子の思いを、これらの遺跡は思い起こさせてくれます。

・  ・  ・  ・  ・

 今必要なことは、鎌倉は文化財があったから爆撃から守られた、という呑気な思いこみではなく、もし戦争が続いていたら、この地も戦場になったであろうこと、「本土決戦」になれば家も横穴陣地も火炎放射器で焼かれたであろうことなどの「もしも」を「想像」してみることことだと思います。
 参加された皆さんからは、「広島の日にとても良い企画だった」、「普段見すごしていた身近なところに、こんなに戦争の遺跡があることを知り、びっくりした」、「年金者組合らしい取り組みだ」などの感想を頂きました。年金者組合としては、この活動を今後どのように継続していくか、考えていきたいと思います。参加した皆さん、今回は参加できなかった皆さんも、ぜひご意見・ご感想をお寄せ下さい。

冊子『鎌倉と戦争 生きてきたを伝える』紹介のページ
はこちらをご覧下さい。

 

news 2 楽しいおしゃべりサロンを開催

 9月12日、新富会館で「おしゃべりサロン」が行われました。参加者は15名と少なかったのですが中身の濃い会でした。今年7月に90歳を迎えられた内田八重子さんの経験豊富なお話には笑いと驚きがあり、古希の方が多く出席していましたが小僧っ子のように跳ね飛ばされた感じでした。

 又、今回初めて参加されたHさんの、夏野先生と一緒に頑張って「加給年金」を5年さかのぼって頂いた話には年金者組合の原点を感じました。
 実家の庭にある、日本に6か所しか無い中国伝来の「とーののさま」と呼ぶ水神様の石碑の話や朗読サークルの元気な活動の報告、郡上おどりサークルのお手並み拝見、尖閣諸島、原発風評被害、ロシヤ聖教、町内の自治会など、多種多様な話が聞けて勉強になり、とってもお得でした。

 手作りの食事は美味しいし、やっぱり出掛けて来て、皆に会うと元気になれる、だから皆さん、次回は是非おいで下さい。

次回のおしゃべりサロンは、10~12月の誕生会と
忘年会を兼ねて12月開催する予定です。お楽しみに。

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2012年6~7月のニュース(7月20日更新分)


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2012年4月のニュース(4月26日更新分)

2012年3月のニュース(3月19日更新分)

2012年2月のニュース(2月26日更新分)

2012年1月のニュース(1月25日更新分)

2011年12月のニュース(1月1日更新分)

2011年11月のニュース(11月27日更新分)

2011年10月のニュース(11月10日更新分)

2011年9月のニュース(10月1日更新分)


 

みなさんこんにちは。ご訪問、ありがとうございます。わたしたちは鎌倉市とその近辺に住んでいる年金受給者(またはその予定者)で作っている組合です。このホームページはわたしたちの活動を広く知ってもらい、仲間をふやすために、2011年10月に開設しました。まだつたないものですが、ご意見・ご感想をお寄せ下さい。

年間の主な日程

4月 花見の会
5月 観劇会
   NPOフェスティバル
5月 メーデー
5~6月 春の旅行
9月 月見の会(稲村ヶ崎)
   定期大会
10~11月 秋の旅行
   年金者一揆
12月 喜寿のお祝いと忘年会

3ヶ月ごとにお誕生会を兼ね
おしゃべりサロンを開催。

年2~3回、市長とのふれあい
トークを行っています。

8月の花



ピンクのガウラ
白蝶草
花ハイク8月のページ
から拝借しました。

特集・鎌倉の春

①段葛








吉原捷利さん撮影



②源氏山







青沼慶祐さん撮影